総論(概要)
1 憲法とはなんだったのか
憲法は、法律ではありません。近代立憲主義憲法は、国家権力を制限し人権を保障する法です。つまり、法律を作るときや、それを運用するときに守らなければならないことを示し、
国民が国家に遵守させるという、法律とは逆方向の役割を本質とする法です。時に国家は暴走するという歴史的教訓から生まれた役割であり、日本国憲法も、
(制定過程の議論はしませんが、少なくとも内容において)そのような役割を担っています
(※1)。
今回の
草案は、そうした従来の意味での憲法ではありません(その事実についてどう考えるかは自由です。)。
つまり、現行憲法では公務員のみが負っている
憲法尊重義務を全国民が負い(102条1項。これはQ&Aによれば「遵守」より重い義務です。)、
「公益及び公の秩序」(12条後段、13条後段、21条2項等)による人権制限が認められ、
「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」(12条後段)することが要求され、国民の義務が大幅に増え、前文冒頭の主語が国家になるなどして、国家から国民への法に変容しているのです。
<個人の尊重、立憲主義についての下記サイトの解説>
2 全体にかかわる変更点
(1) 国民の義務が増える
明確に増えた義務(3条2項、19条の2、92条2項、99条3項、102条1項)のほかにも、国民に一定の態度を要求している部分が相当数あります(前文3段以下、9条の3、12条前段、12条後段、21条3項、24条1項、24条2項、25条の2等)。これらは
全て、憲法尊重義務を負うことによって、国民が守らなければならない事項になっているわけですから、法律により具体化されることで明確に憲法上の義務となり得ます。義務は大日本帝国憲法では2個、現行憲法では3個だった
(※2)のに対し、
草案では21個あるとの指摘を掲示板で頂いています
(※3)。
(2) 個人の尊重がなくなる
人権とは、生きること、幸福を追求すること、意見を言うこと、好きなことを考えることなど、人に欠かせないあらゆる権利のことです。まとめて基本的人権(現行97条)といったりします。
こうした全ての人権の根幹をなす
「個人」の尊重(13条)が、「人」の尊重に変わっています。これについて、
起草委員会事務局長の私見ではありますが、「個人主義を助長してきた嫌いがあるので」変えたとされています。利己主義の助長ではなく個人主義の助長を問題視しているということは、全体主義方向への変化を目指したということです。
そもそも、多数派は権力を握れるわけですから、憲法が力を発揮するのは、多数決原理では奪えない少数派の人権を保護する局面です。そのため、個人主義を少なくとも後退させ、和(草案前文)を乱す個人を尊重しないのであれば、憲法の存在意義が乏しいことになります。憲法が骨抜きになってしまう、見方をかえれば、憲法を骨抜きにすることができる、ということです。
<個人の尊重、立憲主義についての下記サイトの解説>
(3) 「公共の福祉」ではなくなる
人権が重要だとはいっても、例えば名誉毀損が罪になることからもわかるように、一定の制約を受けています。国家権力が人権を制限する主要な根拠は、「公共の福祉」でした。
「「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、
人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」とQ&Aにあります。
従来、「公共の福祉」(12条後段、13条後段)による人権制約は、他の人権に資する場合(人権の合計が大きくなる場合)にのみ認められるのであり、他の人権の集合とは異なる「公益」的な何かは存在しないと考えるのが一般でしたが、そのような考え方をしないことを明確にしました。
誰の人権のためにもならないが公益にはなるという場合を明確に観念して運用されるわけですから、全ての人権の尊重度が弱まります
(※4~8)。具体的にどうなり得るのかは各条文をご覧ください。
言論や芸術などの
表現の自由に対する規制については、「公共の福祉」のなかった21条に「公益及び公の秩序」を入れていますので特に変化が大きいです。
<「公共の福祉」についての下記サイトの解説>
<表現の自由の重要性についての下記サイトの解説>
(4) 同じ文言でも解釈が変わる
このような憲法の趣旨に照らして各々の文言が解釈されます
(※8)から、
形式的には何ら変わっていない文言であっても、解釈が変わるものが多いです。
例えば、「思想及び良心の自由」(19条)という文言は全く変わっていませんが、「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」(3条2項)ことによって、日本代表の試合で君が代を声に出して歌わない自由は「思想及び良心の自由」(19条)に含まれにくくなります。
「表現の自由」(21条1項)という文言も変わっていません。しかし、追加された21条2項による制限があります。また、「投票価値の徹底した平等を実現しよう」というビラを配る場合、行政区画等も勘案するとする草案47条に反しており、憲法尊重義務(102条1項)を守っていないため、「表現の自由」(21条1項)として保護されにくくなり、ピザ屋がビラ配布の際に当たり前にやっているような軽微な建造物侵入でも捕まりやすいことになる、というふうに他の条文の影響を受けます。
徴兵制に関する18条の議論もこれに関連します。
3 特に目立つ誤解
(1) 草案に否定的な方の一部にみられる誤解
自民党案は人権自体を否定したわけではありません(現行97条参照)。憲法全体の仕組みを解釈することによって、どのような改正を行おうとしているのかということが明らかになります。
自民党が天賦人権説を否定したことや、「侵してはならない」を「保障する」にかえていることは事実ですが、問題視する主張の中には誤解に基づくものが多くみられるので、この点について19条で詳述しています。
また、
自民党が徴兵制を検討していることは否定されていますし、徴兵制が現在違憲
(※9)と解釈される根拠として通説・政府見解が挙げているのは18条前段「奴隷的拘束」ではなく後段「意に反する苦役」ですから、
奴隷的拘束禁止の文言がなくなったことによって合憲とはなりません。
(2) 草案に肯定的な方の一部にみられる誤解
徴兵制が新憲法下では許されるという解釈も可能です(18条参照)。自民党の起草者たちは、改憲しても徴兵制をやる予定がない理由として、制度選択としての
非現実性、不合理性に言及しています
(一例はこちら)。これは、草案の下で合憲であることを前提としなければ出てこない議論ですから、現実的、合理的だと考えるような状況がくればいつでも法律で徴兵できるようにしているとみるのが論理的です。そして、直ちに徴兵制と結びつくわけではありませんが、国と協力して国防しなければならないことは事実です(前文3項、9条の3、102条1項)。
また、文言を明確化しただけなどということも考えにくいです。自民党の解釈が明確になっているところは多々ありますが、文言自体を明確にする変更はごく一部です。
時代に合わせて新しい人権を規定したとの主張も誤りです(21条の2等参照)。
4 各論への招待 以上を踏まえて、それぞれの条文をみていきたいと思います。なお、解説は適宜加筆・修正していきます。
とりあえず現行憲法自体の勉強をしたいという方にとっては、ここはあまり親切な書き方でないかもしれませんが、ほかに素晴らしいサイトがたくさんあります。
例えば、法学館憲法研究所サイト内
「逐条解説」、
「中高生のための憲法教室」や、
日本国憲法の基礎知識などがわかりやすいと思います。現行憲法の解説ですから、現行憲法を大切に思っている方が書いたものの紹介になることはご容赦ください。
このサイトで逐一ソースを挙げていない理由としては、特定のソースを示さなくても様々な文献に載っている事柄であること、膨大でかえって見にくくなると思われること、自民党Q&Aがソースを示していないことが挙げられます。知識的な部分の裏付けはとってあるので、憲法関係の書籍、判例、政府資料等で容易にご確認頂けると思います。メジャーな文献にないことまで幅広く言及しているものとして、芹沢斉ほか編『新基本法コンメンタール憲法』(日本評論社、2011年)があります。 草案の各条文には表題があります。現行憲法の条文には、親切な六法では表題がつけてありますが、正式な条文ではないのでこのサイトには記載していません。
条文で太字になっているのは、基本的には自民党が草案のpdfファイルにおいて太字にしている文言と、それに対応する現行憲法の文言です。ただし、草案で削除されていて、したがって太字にされることはないけれども明らかに重要である、という箇所などもあるので、完全に一致しているわけではありません。
※1 | そうではなく国家統治の基本を定めた法だ、との主張もみられますが、国家統治の基本を定めていることはもちろんであり、国家権力を制限し人権を保障することと両立しているのは言うまでもありません。国家が存在する以上、統治の基本は何らかのルールによっているわけで、その意味での「憲法」は、法典や判例が存在するか否かにかかわらず、いかなる時代のいかなる国家にも存在しますから、日本国憲法という法典を議論するにあたりあまり意味のある概念ではありません。むしろ、国家統治の基本を定めた法としての「憲法」は、日本の場合、国会法や公職選挙法の中にも含まれているので、憲法は国家統治の基本を定めた法だという側面を強調する場合、日本は何度も憲法改正しているといえます。
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※2 | 現行26条、27条、30条に義務が定められていますが、26条(教育を受けさせる義務)、27条(勤労の義務)は権利と関連付けられていること、30条(納税の義務)は国家を存在させる以上不可欠である上、税金をとるには法律によらなければならないという意味で84条とともに国家を縛っていることから、国民が国家に守らせるという(現行)憲法の本質から逸脱するものではありません。また、立憲主義と国民の義務が全く両立しないわけではありません。
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※3 | 個数は数え方によりますが、少なくとも義務的な性格を帯びているものを条文順に列挙しておきます。 1国・郷土保全義務、2人権尊重義務、3和を尊ぶ義務、4互助・国家形成義務、5自由・規律尊重義務、6国土・自然環境保全義務、7教育・科学技術振興義務、8国を成長させる義務、9伝統・国家継承義務、10国旗国歌尊重義務、11国際平和誠実希求義務、12国防協力義務、13自由・権利保持義務、14自由・権利を濫用しない義務、15責任・義務自覚義務、16公益及び公の秩序服従義務、17身体拘束しない義務、18個人情報適正利用義務、19通信の秘密を侵さない義務、20宗教参加を強制しない義務、21家族間助け合い義務、22婚姻維持義務、23環境保全協力義務、24教育を受けさせる義務、25勤労の義務、26児童を酷使しない義務、27納税の義務、28逮捕しない義務、29両議院議員を兼職しない義務、30地方自治負担分担義務、31緊急事態下指示服従義務、32憲法尊重義務
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※4 | 侵略されてやむを得ず闘わせられる場合や、原発からやむを得ず避難させられる場合が、誰の人権のためにもならないが公益にはなる事例だとの主張がみられますが、この事例では生命そのもの(13条)や生存権(25条)などが守られています。もっとも、そもそもこの事例を「公共の福祉」や「公益及び公の秩序」の問題としてとらえるかどうかは意見が分かれます。
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※5 | ドイツの戦う民主主義と同じだという主張もみられますが、異なります。例えば、戦う民主主義では民主主義を否定することを許さないのに対し、草案では何を許さないのかが憲法上決まっていません。
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※6 | 従来の通説を批判し、人権を擁護しつつ理論的に再構成しようとする試みもありますが、そうした見解の根幹には個人の尊重(13条前段)の理念があり、それのない草案の下で説明することは困難であると思われるため、詳細な検討は省略しています。
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※7 | Q&Aに「公の秩序」についての説明がありますが、「公益」についての説明がないため、結局「公益及び公の秩序」が人権相互の衝突以外の何を指す(と自民党が考えている)のかは明確ではありません。
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※8 | 解釈するのは裁判所だから何も変わらないとの主張もありますが、草案下で何か事件が起こり、当事者が最高裁まで争って違憲判決がでた事項以外は、行政の解釈によって運用されます。また、裁判所もあえて改正したことの趣旨に照らして解釈します。立案担当者の説明はもちろん、改正という事実自体の意味も解釈上考慮されますから、単純に新旧を比較した場合に「ある解釈をどちらの文言でもとり得るか」ということと、「あえて変えた場合にその解釈が維持されるか」ということは異なります。
自民党憲法改正推進本部顧問も「公共の福祉という言葉だけでは……最高裁の判決が……個人に重きを置いてしまった……。最高裁が判断するとき……憲法の改正によって……影響を与えていく……ことを目指している」としています(動画『船田元:憲法草案に道徳は書き込まざるを得なかった』25分前後)。
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※9 | 「合憲」というのは、その法律や規制が憲法に反しておらず許されるということで、「違憲」というのはその法律や規制が憲法違反だということです。そのため、多くの場面で、「合憲」な規制が多いほど、国民の行為は「違法」になりやすく、人権保障は薄くなり、「違憲」な規制が多いほど、国民の行為は「合法」になりやすく、人権保障は厚くなるという関係にあります。 例えば、反原発デモを禁止する法律ができたとして、その法律が合憲であれば、デモを行ったら法律違反なので違法であり、一方その法律が違憲であれば、その法律が無効(現行98条1項、草案101条1項)なのでデモが禁止されていないことになり、デモを行っても合法になります。 |
目次
前文
1章 天皇(1~8)
2章 戦争の放棄/安全保障(9~)
3章 国民の権利及び義務(10~40)
14 平等権
15 参政権
16 請願権
17 国家賠償請求権
18 苦役等からの自由
| 19 思想良心の自由 20 信教の自由
21 表現の自由
22 営業等の自由
23 学問の自由
24 家族
25 生存権
26 教育権
27 勤労権
| 28 労働基本権
29 財産権
4章 国会(41~64)
5章 内閣(65~75)
6章 司法(76~82)
7章 財政(83~91)
8章 地方自治(92~)
9章~緊急事態、改正、最高法規
上諭・名簿 |
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